《No.48》 ひとまず、サヨナラ ワシントン!

 ワシントンに来て4年が経ち、そろそろ帰国する時期になりました。毎月1回この「ワシントン便り」を書き始め、途中からブログのかたちになり48回目の今回が最終回です。

 車で通勤する人が多いこの街が雪で覆われて白くなると、その不便さから、不満の声がよく聞かれます。でも、わたしは雪の降る寒い季節も大好きでした。出勤途中、わが小さなアパートの隣の動物園から裏道に抜けて入るロック・クリーク・パークウェイは、萌えるような緑の時期もきれいですが、うっすら雪化粧も風情があります。わたしが帰国して、もっとも懐かしむ情景のひとつでしょう。


 4年前にワシントンに着任したとき、アメリカ経済は上り調子が続いており円も124円でした。その後の金融危機と不況、失業率の悪化に民主党政権への移行等、実にこの街でアメリカ社会の変化を体験しました。


 アメリカ史上初のアフリカ系大統領の誕生は、やはり大きなできごとでした。しかし、HOPEというフレーズで鼓舞された人々の気持ちが、だんだんとしぼんでいく様子も実感しました。それでもこの国では大統領の存在が、比較的若い国の歴史のなかでも相当大きな部分を占めており、多様な人種と社会の“関心”の求心力となっていることは、引き続き事実です。

 ちょうど今から50年前に就任した、ジョンFケネディ大統領を記念するコンサートが、当地のケネディセンターで開かれました。幸運にも劇場に足を運ぶことができたわたしは、ちょうど2年前にあの凍える日に大統領就任宣誓式をした、オバマ大統領が壇上に立ち、ケネディ大統領の遺訓を語る姿に接することができました。2年前のあの日、会場を埋め尽くした人々からの熱さは新大統領一人に注がれていました。そのことで、人々がひとつになっていたような気がしたものです。

 今回は50年前の大統領へのノスタルジーに会場の人々の気持ちがすがりつつ、次々と登場するアーティストたちの演奏を楽しむことで、ひとつにまとまったような気がしたものです。


(ちなみに大統領の演説中の写真撮影は許可されていました)


 JFKの人気は相当なもので、キャロライン・ケネディとその子どもたち、ケネディ政権当時のホワイトハウスで勤務していた人々までもが、会場で名前を呼びあげられて立ち上がり、会場からの拍手喝采をあびていました。

 ABCテレビの看板キャスターのダイアン・ソーヤーの司会で、コンサートは始まりました。俳優モーガン・フリーマンが朗読する詩とともに世界初演の「Remembering JFK アメリカン・エレジー」が奏でられ、ホワイトハウスに招かれて演奏したパブロ・カザルスに見立てられたヨーヨーマのチェロとバレエ「瀕死の白鳥」のコラボ、そしてポール・サイモンが「サウンドオブサイレンス」を生ギターで歌うなど、面白いプログラムでした。


 今回わたしが注目したのは、ジャズピアニストのハービー・ハンコックのトリオで登場したまだ25歳の女性ベーシストのエスペランザ・スポールディングでした。「追憶The Way We Were」のメロディアスな演奏が彼女のソロで始まったとたんに、わたしはその立ち姿のかっこよさに見とれてしまいました。彼女は、多言語・多文化社会を代表する新しいアメリカの象徴として壇上で輝いていました。オバマ大統領のノーベル平和賞授賞式でも演奏した彼女は、ことしのグラミー賞候補のようで、今後わたしも注目したいと思っています。

 仕事上でもまだ後ろ髪が引かれる思いで、ワシントンを去ることはさびしい限りです。それでも、たとえばこのエスペランザのような新星の登場に、わたし自身の新しいアメリカ社会との出会いを予感しつつ、ひとまずサヨナラ・ワシントンです。