《No.38》 初めてづくしの2010年

 111年前の大雪の記録を破り、“ハルマゲドン”ならぬ“スノーマゲドン”と呼ばれたワシントンDCでの降雪ぶりは、日本でも報道されたと東京の家族から聞きました。2月5日(金)は当地の世銀やIMFなどの国際機関が早々と休業宣言をだし、その日、午後からは連邦政府も早退を勧奨しはじめました。そして土曜日早朝からの本格的なブリザードとさらに水曜日の第2次ブリザードの影響で、月曜日から木曜日まで4日間続いた休業は、史上初めてだったそうです。


 まさにそんな雪嵐が吹きすさぶ6日(土)に、私は普段ならば車で10分足らずで到着できるホテルで開催されていた会議に、徒歩・地下鉄・徒歩で1時間半かけてたどり着きました。前日から全米各地から参集してくださった、アメリカ人の日本名誉総領事と、各界を代表する日系米国人が合計50名、そして全米に15館ある各日本総領事と東京の外務省からも幹部の外交官が加わり、アメリカにおける日本外交に関する会議が開催されたのです。雪に閉ざされたホテルですから、2日間の日程中外出もままらなず、途中で参加者の一人も欠けることなく会議は始まりました。



ブリザードの最中、会議会場となったホテル前の広場は、行き交う車も人の姿も無し


 ワイオミング州キャスパー市の名誉総領事、マリコ・テラサキ・ミラーさんの名前は日本でもよく知られています。柳田邦男原作のTVドラマ「マリコ」が、20年近く前にNHKで制作され放送されたのをよく覚えている一人として、今回も70歳代後半のマリコさんが、スカイブルーのジャケットを颯爽と着こなし、会議中も手短に要領よくパンチの効いた言葉で発言されるさまを見て、感動しました。ちょうどトヨタ車のリコール問題で、全米各地の日本企業や日本人イメージに対してどのような影響があるのかが、議題となっていました。


 父上の寺崎英成氏は、日米開戦直前に一等書記官としてワシントンに勤務していた外交官でした。「マリコ」の名前が、本省に打電される暗号文のなかでは、アメリカ当局の対日観そのものを意味していたと描かれていたことが、この会議中にも私の頭をよぎりました。

 マリコさんは、1995年、女性として初めて日本の名誉総領事として任命されましたが、今年この会議の出席者を見渡すと、すでに4人ほどの女性名誉総領事の姿があります。どの女性も、パイオニアであるマリコさんに対する敬意を表されていました。


 寺崎家と同様、日米の血を分けた“家族”の物語として、昨今こちらで話題になったのが、バンクーバー冬季オリンピックのスピード・スケートで金メダルの呼び声の高かったアポロ・アントン・オオノ君です。http://www.apoloantonohno.com/home


 2002年ソルト・レイク・シティから数えて3回目の冬季五輪出場。今回は、惜しくも銀メダルでしたが、あわせて6個のメダルを獲得しています。ソルト・レイク・シティ五輪で金メダル獲得の際に履いていたスケート靴は、当地スミソニアン博物館に永久展示されています。強いアスリートが人気を博すのは、アメリカ社会では当たり前ですが、彼の人気の秘密は、どういうところにあるのでしょうか。


 まだ幼いころに離婚した美容師の日本人のお父さんが、シングル・ファーザーとして彼を育て、スケートの練習のために“サッカー・マム”のようにスケートリンクと自宅間の長距離送迎をこなしたという美談の陰で、アポロ君自身はちょっとぐれて札付きの不良少年ぶりでも話題になったようです。冬季五輪で6個のメダル獲得というのも、歴代アスリートでトップに並ぶ記録だそうで、現場で実力を存分に発揮する運気を持つ人物、というのが、やはりここアメリカで評価される基準なのだと感じました。


 NYタイムズ紙がとりあげているアポロ関連記事http://topics.nytimes.com/topics/reference/timestopics/people/o/apolo_anton_ohno/index.html


 そういえば先述の会議で、参加者の日系米国人の女性弁護士が教えてくれたのですが、今年はアメリカでも10年に一度の国勢調査の年だそうです。米国市民も非市民も、4月1日現在、米国在住の人はだれでもこれを記入することが合衆国憲法で定められており、3月にはいると、どの家にもこの用紙が送付されてるとか。今年は質問項目がたった10問で、性別、年齢、人種、住居形態などの質問だけで、史上初の“簡単さ”だそうです。年明けから何かと「初もの」続きの2010年ですが、私自身、アメリカの国勢調査参加という初体験を楽しみにしています。


*史上初の簡単調査項目は、このサイトでチェックできます。http://2010.census.gov/2010census/how/index.php