《No.40》桜――春の訪れと「日本文化」のリンケージ

 丸2週間、3週末にまたがって開催されたワシントンの風物詩National Cherry Blossom Festival(全米桜祭り)が、今年も大盛況のうちに閉幕しました。


 この時期、学校の春休みやイースターと重なって、この16日間、DCを訪れる観光客150万人が、この全米桜祭りの何らかのイベントに参加しています。何と言っても街のあちこちに桜が咲き誇るこの街では、ワシントニアンの時候の挨拶も、まるで日本人のそれのように桜がらみになっています。しかもソメイヨシノ、カンザンなど樹木の種類までよく知っています。


 最終週末の土曜日(4月10日)に、今年で50回目を迎えるストリートフェスティバル「Sakura Matsuriさくらまつり」が開催されました。午前中に国立公文書館前から始まるパレードに続き、正午少し前から、連邦議事堂を遠くに望むペンシルバニア通りの4ブロックの交通がせき止められ、そこに5つのステージとたくさんの日本関連のテント、そして日本食やグッズのお店が並ぶのです。


 たった一日で開催されるストリートフェスティバルでは、その集客数はもちろんワシントンDC一の大きさですし、日本関連イベントでは全米一の規模でもあります。


16万人がひしめき合うペンシルバニア通り


アメリカ人グループによる武道デモンストレーションは終日続きます


 この期間中は、たとえばケネディ・センターでジャズ・コンサート・シリーズの幕開けがありましたが、そこでも「桜」とか「日本の文化」という言葉が、主催者の口から自然と出てきます。春の訪れと「日本」がリンクされてアメリカ人の心に刻まれていることは、嬉しいことです。以前、中国大使館が「桃」を当地でたくさん植樹して「中国文化」を植えつけようという試みをしたようですが、これは残念ながら定着しなかったと聞きます。


 なぜここまでワシントンは「桜」なのでしょうか。1912年に最初の3000本の桜が東京市から寄贈されたのがきっかけということを、以前にもここで書きました。しかし、実はこの費用を負担したのが、一人のアメリカ在住の日本人だったことは、まだまだ日本国内でも知られていません。

日本から寄贈されたものであることを伝える石碑と最初の桜


 その人の名は、消化薬のタカジアスターゼや止血剤のアドレナリンを作った、高峰譲吉博士です。彼が1922年にニューヨークで亡くなったとき、ニューヨーク・ヘラルド新聞は、「日本は偉大な国民を失い、アメリカは得がたい友人を失い、そして世界は偉大な化学者を失った」という追悼記事を書きました。


 この高峰博士の生涯を描いた映画「さくらさくら」が、3月末から故郷の富山・石川で劇場公開されたと聞き、私たちの広報センターでもさっそく、上映会を企画しました。これには市川徹監督も日本から駆けつけてくれ、会場は200名近い聴衆で満杯になりました。


 アメリカ人妻キャロラインと、36歳で米国に移住して以後、30年間この地で暮らした高峰博士の人生。2012年、ここワシントンにおける桜寄贈100周年に向けて、私ももっと知りたくなり、少し旅をしてみることにしました。(続きは次号で)


(ご参考)映画「さくらさくら」ホームページ http://sakurasakura.jp/