《No. 43》 105年前、あるサマーハウスでの出来事

 ニューヨーク郊外の全寮制高校にいる娘に会うために、ワシントンから片道255マイル(約410キロ)の行程を、車を飛ばして年に4,5回通っています。今回卒業式を迎え、この長旅も最後の機会なるということで、アウトドア派の友人が「せっかく自分で車を運転しているなら、混雑するマンハッタンを迂回するためにも、Sagamore Hillに立ち寄るといいよ」と助言してくれました。


 NYからロードアイランドに向かうハイウェイで、およそ1時間。海辺のオイスター・ベイと名づけれられた小さな洒落た港町を望む丘の上が、そのSagamore Hillというアメリカ内務省国立公園局が管理する国定史跡(National Historic Site)でした。


 アメリカの国立公園といえば、日本にも縁の深いロックフェラー家の2世(J.D. Rockefeller, Jr.)が国立公園の保護のために私財を投じたのはよく知られています。現在、全米に58カ所の国立公園があり、国定史跡は123カ所あるそうです。そのひとつであるSagamore Hillについては、「たしか、日露戦争が関係しているはずだ」と友人が教えてくれるまで、まるで聞いたこともありませんでした。


 42歳で第26代米国大統領となったセオドア・ルーズベルトは、NYの裕福な家庭に生まれ育ち、小さな頃からこの地の別荘で夏を過ごしていたそうです。20歳そこそこで39ヘクタールの土地をこの丘に購入したルーズベルトは、大統領時代の1902―1909年の毎夏、6人の子どもたちとともにここで執務を続け、まさに「夏の間のホワイトハウス」だったそうです。




サガモア・ヒルでの大統領一家


 その期間中の出来事が、日露戦争の勃発でした。そして日露両国の和平交渉、それがルーズベルトの功績ということなのですが、これまでこの講和会議の舞台は、ニューハンプシャー州のポーツマスだと思っていました。たしかに講和条約に調印されたのは1905年9月5日ポーツマスでのことですが、その1ヶ月前、ここSagamore Hillにおいてロシアと日本の特命全権公使を別々に呼んで面会し、相互の話し合い実現をはかったのがルーズベルト大統領だというのです。


 1905年6月11日付けルーズベルトは、息子(次男で15歳のカーミット、上の写真で右から3番目)宛への手紙に、こう記しています。


「彼らが合意のためのテーブルに着くかどうか、それは分からない。しかし、もし平和を獲得するチャンスがあるのだとすれば、それは価値あることだ。……とにかくこの試みは、ためしてみる価値はあるのだ」と。


 1906年、ルーズベルトはこの和平交渉の功績によって、アメリカの現役大統領として初めてノーベル平和賞を受賞しました。先般、核廃絶を訴えたオバマ大統領が同賞を受賞したときに、彼が最初の現役大統領ではなくすでに前例があったのは、このテディ・ルーズベルトだったのでした。



サガモア・ヒル史料館にて


 中央にセオドア・ルーズベルト大統領、左端からロシア全権セルゲイ・ウィッテ、ローゼン駐米大使、大統領の右隣が小村寿太郎、右端に高平小五郎駐米公使の署名が見えます。ポーツマス講和のいろいろな資料をみても、なかなかこの5人がそろって記念撮影している写真を見ることがありませんので、これは貴重な1点かもしれません。


 とかくアメリカの国立公園は「自然」が前面に出ていて、「歴史」を感じることが少ない印象がありますが、実はこんな足元の手が届くところに「歴史」を発見するのも、夏休みのちょっとした旅の醍醐味です。この夏、また新たな発見を求めて、いくつか週末に出かけてみるとしましょう。



当時、日本で売られていた絵葉書には、明治天皇とルーズベルト大統領の肖像画が描かれています。また明治天皇から下賜された日本刀も陳列されていました。